『自己肯定感が低い』
自分のことを認めることができない。
これは本当にしんどいことであり、一種の心の病気ではないかと感じています。
「どうせ俺にはできない」「失敗したらどうしよう」「あいつはいいよなぁ」
ずっと劣等感、嫉妬心を常に持ち続けて、ネガティブなことを考えて自分は生きてきました。
これまでに人を羨むということを経験したことはないでしょうか。
その行為が癖づいてしまうと、自分を苦しめる種となってしまいます。
人を羨むことは自分よりも相手に負けたと思い込んでいる、いわば妄想を自分で生み出し、劣等感などのネガティブな感情を生み出しているのです。
自分を許し、自己評価を高めることは人生を豊かにすることです。
まだまだ私もこの『自己肯定感が低い』ということを克服できたわけではありませんが、やっと真剣に向き合うことができるようになった一人です。
私は私と同じように苦しんできた人を救えるようになりたいと真剣に考えています。
自己肯定感が低い要因は人によって、多種多様であるかと思います。
私の場合は幼少期からの周りへの嫉妬からであると自己分析しております。
私の生い立ちを振り返っていきます。
幼少期、私は周りに比べると、貧乏であったことは間違いありませんでした。
僕は小さなアパートで生まれ、中学1年まで過ごしました。
小学校の途中までは同世代の幼馴染が多く、8人ぐらいでよく遊んでいました。
しかし、みんな新築の一軒家やマンションに引っ越していきました。
気づけば自分だけがアパートに取り残されていました。
「みんなはいいな。なんで俺だけ。。」
薄々、子供ながらに生活が苦しいことはわかっていました。
父親が事業を起こしたが失敗。どのような事業を立ち上げたのかはわからず、聞くこともできなかったのですが、家にはダンボールが置いてあったことを覚えています。
おそらく、売れなかった在庫だったのだろうと思います。
小学校の時、友達との会話でこんな話を覚えています。
「大体、どの家にも500万ぐらいの貯金はあって、当たり前やで。」
当時は500万という数字がどれぐらい大きなものかはわかっていなかったですが、きっとうちにはそんな貯金はないなと落ち込んだことを覚えています。
「やっぱり、うちはよそとは違うんや。」
中学に入り、私は野球部に入部しました。
野球部に入部するとユニフォームなどの道具を買わなければいけません。
その代金を細かく覚えてはいないが、2万ちょっとだったと記憶しています。
小銭が混じっていたことは明確に覚えております。
その代金をお釣りがないようにちょうどの金額を封筒に入れて、顧問の先生に渡しに行きます。
しかし、私が持っていた封筒には小銭が入っていなかった。だから明らかにみんなと違い、小銭がジャラジャラと音がならない。
小銭どころかお金が入っていなかった。入っていたのは母が書いた手紙でした。
何が書いてあったのかははっきり見ていません。支払うことができないので支払いを待ってほしいという内容が書いてあったと認識しています。
それが非常にみじめに感じ、みんなに隠しながら顧問の先生に渡したのを覚えています。
「なんで俺だけ、こんなんなんやろ。」
中学で、やっとアパートから引っ越すことになったのですが、憧れていた新築の一軒家ではありませんでした。
平成の時代に昭和な雰囲気のある、ボロい平屋の借家でした。
引っ越した理由も家賃が払えなくなり、出ていかなければならなくなったからです。
引っ越した家は、中学の通学路であったこともあり、人から見られることが本当に嫌だった記憶があります。
よく、人が来ていないことを確認してから家を出たものです。
同級生に言われた言葉で許せなかった一言があります。これは長年、私を苦しめてきました。
「なんであんな家に引っ越したん?引っ越すんやったら2階建てのほうがいいで。」
とてもバカにされながら、言われたことを覚えています。
私はひどく傷つき、怒りに震えたが何も言い返すこともできませんでした。だってそれは事実であり、私も望んでいた家ではなかったからです。
「なんで、俺だけ。こんなみじめな思いをさせた親が悪い」
いつしか、親を憎むようになりました。父親は職を転々とするようになり、一時は職がなく平日もずっと家にいることがありました。
寝転びながら、ずっとテレビを見ている姿を見た時に、激しい怒りがこみ上げていたこともあり、ますます憎むようになりました。
「俺がこんなみじめなのは、こんな父親のせいや」
もちろん、今は両親には感謝しており、私を育てるために必死だったのだと理解しています。
幼少期を振り返ると、私は嫉妬を繰り返し、自分だけがみじめな思いをしていると自分を否定するようになっていったと今は思います。
「何のために生まれてきたんやろ。」
子供ながらに純粋に日々を過ごすことができず、そんなことを考えているのは、今冷静に考えると異常です。
辛い経験をバネにできるならいいですが、私は決してそんなに強くありませんでした。
自分を認めることができないまま、大人になっていきました。
社会人になった私は自分に自信がないが故に、上司や先輩、同僚、家族に認められようと必死だったなと思います。
だから、誰にでも良い顔をし、自分の弱さをひたすらに隠そうとする。
わからないことを聞こうとすると、相手にこいつできないなぁと思われたらどうしようと毎回躊躇していました。
過去を振り返ると、私は辛い思いをしてきたと思います。
確かにみじめな思いもしてきました。しかし、全ては過去のことであり、過去を引きずってしまうことは自分自身の妄想であり、相手は誰もいないんです。
過去に言われたことをいつまでも許すことができないのは、相手はもうそこにはいなくて、自分の記憶がその怒りを呼び起こしている。
そんな怒りや嫉妬心を持つことを決してバカにしてはいけないと思います。
ずっと、怒り・嫉妬心を持ち続けると自分を認めることができなくなってしまいます。
嫉妬心を持ち続けるというのは、常に他人と自分を比較しており、劣等感を感じてしまいます。つまり、絶対に勝つことのできない勝負を勝手に他人に挑んでいるのと同じです。
例えば、他人が住んでいる家を見て、自分より立派な家に住んでいて、いいなぁと羨んで落ち込むといったことです。それって、誰が判断したわけでもなく、自分で勝手に負けていると思い込んでいるんです。
自分を認めるには、自分を許すこと。自分に厳しくしすぎないことです。
他人からは自分のことって、そこまで気にされていないんです。
過去に私にひどいことを言った人はきっと覚えていないんです。
過去に執着してしまうことで、いつまでも自分を否定し、自分を認めることが決してできません。
自分を認めることは、生きていく上でも重要であり、自分がやりたいことに挑戦していく力になります。
まず自分を認めることの一歩として、今日することを書き、その中でできたことを小さなことでもいいから、書くこと。
どんなに小さなことでもかまわない。買い物をした、ご飯を作った、早寝早起きした、筋トレしたなどでよいと思います。
自分が決めてできたことを認識することで、少しずつ、自分はがんばっていることを認められるようになります。
その積み重ねが、自分を認め、自己肯定感を上げることです。
私も少しずつ、現状を変えていくように努めていきますので、もし参考にしていただければ幸いです。